RCのコラム 第30回 2006年8月
2006年7月 もどる キワムの写真館 キワムの写真掲示板 2006年9月


2006.08.28 19:08(月) 中高時代の仲間と話して

 海以外、中華料理だったりバーだったり体育館だったりでは数年ごとに合っている中学高校時代のバスケット部の仲間が海にやって きた。6月に川口で飲んだ時に今度あそびにおいでと誘ったのがきっかけ、もう少しやってくるかと思ったけど、みななかなか大変な 年頃になっていて都合がつかないヒトが多かったようだ。

 38年前の高校2年生までは週2回(受験校で体育館もその当時1面しかなかったので練習日が取れない)は午後3時から8時くら いまで一緒に汗をながし限界まで体をいためた仲間達だ。その後進む道はみな大きく変わったわけだがそれでも運動部のOBは今の立 場は関係なくあの時の上下関係にあっという間にもどる。我々の4年後輩は進学校としては優秀で5人のうち東大が4人で一人が筑波 大学の医学部だったそうな。我々の当時でも1学年350人のうち150人弱が東大に浪人含めて行ったのだから、東大が一番ポピュ ラーな学校ということにもなるのだろう。そこいくと我々の学年のバスケット部はユニークな連中(進学校としては成績の悪い)がそ ろっていたのかもしれない。学年で一人しか入学しなかったなんていう大学に進学したのが多かったり、大学行かなかったのもいたか らね。学年の出世頭はだれ?なんて話しも出てそれなりに盛り上がりもした。しかし、いわゆる一流会社に入っても我々の年になると いろいろ動きもある。そのまま会社に残れる人間もそういるわけではなく、最前線ではない部署への異動だったり、会社と喧嘩して辞 めたりもある。2年間浪人生活をこの年でした先輩の話がでたり、これから会社を興すという話しもでたり。決して安定していられる 年頃ではないということだ。だれが成功者でだれが失敗というのかもそう簡単に判断出来るものではない。

 そんな話しや、ただの馬鹿話で盛り上がってBBQをやっていたら私の後方から写真をとられた。どうもシャッターを押した人間は 私の頭髪が薄くなったのがえらく気に入ってシャッターを押したようだ。

 自分でもいったいだれの頭かと思ったくらい自分自身ではこの状態を把握していなかったということだ。髪の毛も短くしていればさ ほど目立たないが、ちょっと長くなると薄いところと残っているところのコントラストがしっかりつく。これが事実というところが面 白い。

 先日もコンピュータ業界の同年齢のヒトと一晩飲んでいろんな話しをしたのだが、「あと5年、せいぜい10年しか世の中で仕事ら しい仕事は出来ない、ここでどうその時期を生きるか考え時だ。」と。その意見が正しい事を私の頭髪も物語っている。


2006.08.23 13:46(水) 大和病院見学

 昨日は小田急線大和の大和病院にお邪魔した。先日大和病院の電子カルテ導入スタッフが私の所の電子カルテを見学にいらしたので 今回はこちらからお邪魔することになった。

 大和病院は精神科の250床の病院。精神科の病院としては先進的に電子カルテを導入された。電子カルテはWebタイプのもので 、チーム医療がうまく発揮できるようにデータが統合されていた。院内も見学させていただき以前私が勤務していたところの精神科病 棟とは時代もちがうが開放的で明るい病棟なのには驚いた。

 見学後、電子カルテスタッフと院長の石井先生と美味しい焼き肉、それに続いて大和のローカルなカウンターバーにお付き合いさせ ていただき楽しい話しを日付が変わるまでしていた。石井先生は私と生年月日が2日しか違わないので本当の同世代。

 電子カルテは電子カルテ、やはり初心をしっかり思い出すべきと感じた。レセとの連携などは重要な問題ではないのだ。本来の機能 を掘り下げる目を今後もしっかり持っていよう。


2006.08.21 11:51(月) 「渚橋」

 妹尾武さんからCDをいただき、電話でちょっとお話しをした。海が好きな妹尾さん、今年の8月5日は鎌倉プリンスのバンケット ホールでコンサートを開かれていたらしい。

 電話で「蒼茫」に入っている「渚橋」を是非聞いてくださいとおっしゃっていた。妹尾さんの蒼茫のクレジットによると「渚橋は海 への扉。夏を追いかけて何度この場所に足を運んだことだろう」という。逗子の駅から海岸に向かうとと逗子海岸の一番左端にかかっ ているのが渚橋。この場所が心安らかに描かれている曲。「渚橋」をバックに写真のスライドショーを組んでみたくなった。まずは主 人公の渚橋を写真に収めてこなければ、、、、


2006.08.19 12:53(土) 夏休み

 鎌倉アーバンクリニックをやりはじめて最初の年、夏休み取れないかなと思っていたが、周囲のサポートもあり休診日とあわせて5 日間の中身の濃い休日を楽しんできた。まあ、休日というより体を酷使するような5日間ではあったが。

 1日目は靄ですっきりしない中を逗子から伊東に向けて出港、2時間もしないうちに靄は晴れ、夏の太陽に痛めつけられる。幸いと いうかセイリング出来るような風がないので、エンジンで伊東に向かって突き進む。途中の海では大きな魚におわれた小魚が水面を波 立たせている。それを上からカモメが沢山ねらっている。水面にはサメのような背びれも見え隠れする。伊東には午後4時頃到着。外 を走っていたときに比べると港の中はとても暑い。ティブロンに従って泊めた所は夜花火がありその時は移動してもらわなければと言 われる。

 伊東の老舗旅館の山喜にとまる。食事に出て、マンボウの刺身を初めて食べる。食事が終わって船に移動して花火にそなえて舫を時 風上に回る。30分の花火だったが間近で見られたのは楽しかった。

 2日目は朝10時に電車で来た加藤カップルを迎えて下田に向かう、しばらくは風があったが真上り、しばらく走ったが風が弱まり 霧で伊豆半島の沿岸が見えない中、陸に近寄って南下。丘の上に無粋なホテルやマンションが建っているのはバブルの名残だろうが良 いものではない。爪木をかわしたところで逗子のAloha Magicと出会い下田の港へ入港。レース参加の船はほぼ到着してい る。スターンアンカーをとり槍付け。私と服部は5時からの艇長会議に出席、他のメンバーは宿に向かい、浴衣で前夜祭に参加の準備 をする。18時からの前夜祭、昨年同様、お盆休みの下田魚市場を会場にしてパーティーが始まる。副畑さんの作成したKenWoo d Cupの迫力あるビデオを見たり、美味しい地のサポートチームの料理をいただき、昨年同様感激した白浜太鼓に心揺さぶられる 。カンツォーネにシンクロした花火でお開きになったパーティーを後にして下田の街へ。今年はここで、朝星グループと一緒にカラオ ケ。サラリーマンヨット乗りは凄い。

 3日目は石廊崎レース。10時に下田沖をスタートして石廊崎の先にあるカツオ島を回って変える全長15.4マイルのコース。風 は弱い。スタート後、風が下に少しふれ、いち早くスピンをあげた我々は先行艇を何杯か捕らえることができたが、その後のカツオ島 までのコースの取り方が悪かったのか、最終グループで回航。フィニッシュはなんとか間に合った。千人風呂に行き、表彰式に参加。 それから下田の街の「新田(しんでん)」に行く。最後に食べたウナギはとっても美味しかった。

 4日目は相模湾横断レース。今日は今まで違って風がある。スタート海面は気持ち良く走れるが風向きは北東。ゴールまで真上りだ 。スタートは相変わらずビビル私でちょっと安全過ぎたかもしれないが、スタートラインでは船がぶつかりあう音がゴンゴン聞こえた 。最初の2時間ほどは大島に向けて突っ込む。風がすこしずつ落ちてきて不安定になる。触れると20度、30度変わるぐらい。タッ クして最初のミートではほとんどの船に前に行かれる。その後の沖だしのミートでは後続艇の数が増える。朝星などは伊豆半島沿いを 北上する。風のシフトもあり、高さで大きく離される。我々は風が下に振れたタックを繰り替えしながらプロパー付近をゴール方向を 目指す。ずっと風が落ちてきていたが、夕方5時少しすぎから良い風と追い潮に目がまれ爆走。高速道路に乗った感じ。日没1時間後 に高速の出口渋滞につかまったが、その後もシフトにあわせてタックしていく。最後は小網代湾口にむけて一直線。21時52分フィ ニッシュ。後続艇が沢山いる。月の光に照らされながら逗子に戻る。後片付けをして解散は1時近かった。

 翌日は横断レースのパーティーのみ。朝目覚めたので写真をアップして昼寝。夕方逗子に向かう。なんとなく成績良さそうなふんい き。表彰式ではクラス3位。今年はどうも調子が良い。原因を探ってみるとドラゴンに乗るようになってから真剣に走ることを覚えた 見たいだ。

 ストーマ生活は極めて順調、宿の環境は悪かったが、温泉入る前にパウチをトイレで交換などしてすごす。大汗、運動の中でもパウ チ無事でほとんどストーマの存在を忘れた生活だった。満足満足である。


2006.08.18 13:46(金) 楽しかった夏休みのこと書かなかったのは

 11日から15日の夏休み、仲間にも恵まれ楽しく過ごしました。帰ってきてから「iCon Steve Jobs The G reatest Second Act in the History of Business」を読んでいたからでした。Ap pleのJobsの生い立ちから昨年までの成功、失敗、復活のプロセスを赤裸々につづった本です。Pixar , Disney がらみの所は斜め読みしてしまいましたが、NeXT時代の前を良く知らなかった私としては一気に読破できました。Jobsは19 55年の2月生まれ、私より4つも若いのですねぇ。Jobsはビジネスマン、私はプログラマー。まぁ、それなりに頑張ろう。


2006.08.07 17:29(月) ルールは知らなかったでは済まないね

 知らないからと言って恥ずかしい事をしたと感じている。反省はしているが収まらない気持ちも残っている。

 ディンギーのレースを観戦に行った。ゼネラルリコール後のスタートを写真に収めようと思ったからだ。ラウジエンドルールが適用 されたレース艇は本部船からリミットマークの間だにすべて入っていて本部艇の風上に向かって右側はすっかりクリアーになっていた 。そこに船を進め写真を撮った。

 コミッティーボートがやってきて高圧的態度で離れるように命令する。こちはレース艇の妨害にいっさいなっていないのに何がいけ ないのかと主張する。

 よく調べてみれば私のルール違反だった。その点に関しては申し訳ない。その ディンギー社会のルール(24項に記されている)によれば、各マークの100メータ以内は支援船および観覧船の航行禁止 区域になっているスタート時は、本部船とリミットマークの左右100メートルも航行禁止区域だ。

 本来、支援艇及び観覧艇はレース中に自チームの利益になることや他艇への妨害になってはならない。という一文で済むはずのルー ルだ。私としてはこの基本をしっかり守って上記の海面に入って写真をとった。このルールがディンギー界で出来たのがいつかは定か ではないが、知っているものではなかった。

 学生諸君にとっては数年前からのルールは当たり前になっているだろうが、30年以上海にいても上記のようなルールの拡張が行わ れていることを知る機会はなかった。若いコミッティーにとって当たり前のことを知っていてルール違反していると思ったのかもしれ ないが、こちらは違う。高圧的な態度にぶち切れてしまったというわけだ。

 せめて一枚の紙にこの基本を書いて渡してこれに対する協力を求めてもらえばお互いイヤな思いをせずにすんだであろうに。

 善意をベースにスポーツマンシップにのっとっていれば拡張しなくてすむ基本的ルールなのにルールの抜け穴を狙ってより良い結果 をもとめようとする社会的風潮が世の中のルールをどんどん拡張して縛りの多いものにして行く。そうなってくる背景も理解出来ない わけではない。淋しい話しではあるが。

 今回の教訓、ルールはお互いに同じ理解を持っているわけではない。

 母校の監督が今日お子さんをつれてクリニックにいらした。さては迷惑をかけてしまったかなと心配したが、実質的な迷惑をおかけ することにはなっていなかったらしい。夏休みの続きで昨日観覧艇に一緒に乗っていたお子さんの発熱のつきそいだった。

 先月も他の世界の事で切れた。簡単に切れることのない正確だと自分自身信じていたのにいったいどうしたというのだ。TVの朝の 星占い、双子座は低迷していた。私がぶち切れた後始末を私を諫めることなく学生の迷惑にならないように考えてくださった先輩の配 慮には涙がでた。私もそんなサポートが出来る人間になりたいものだ。修羅場をくぐった数が違うのだろうか。素晴らしい!

 


2006.08.04 16:45(金) iPodを整理していたら

 先日友人のBMWの助手席に乗せてもらったら、iPod nanoがカーオーディオに繋がっていた。メーカ純正のものみたいだ った。そんな事があったので、私のnanoも車で聞けるようにしようと、シガーライターから延びた太い短めのケーブルとその上に nanoを取り付けるソケットがつき、そこからFMでカーオーディオに飛ばす装置を手に入れた。

 そこで、nanoの内容を少し整理しようと思ったのだ。私のiTunesの中はもうnanoには入り切らない量になっているの で、聞いても楽しくない曲を削除しまくった。そんな作業をしているなかで、先日、友人から借りて入れた、日本のフォークソング後 期の5枚組CDの内容も整理した。後期なので私自身がフォークソングに凝っていた(PPM)の時代よりだいぶあとで私よりほぼ1 0年若い人たちに一番懐かしさを感じさせるような選曲。整理した後聞いていると、今のものと比べれば、歌詞は直接的だし、それに 単純(幼稚というのかもしれない)で、言葉のひとつひとつもはっきりして日本語として聞こえる。最近のヒットチャートの上位は私 には言語としては聴き取れないからね。

 などと、言いながら今日は40代が懐かしがる曲を流しながら午後を過ごしている。


2006.08.01 11:28(火) パスが通る人間関係

 昨晩、先輩、同僚、後輩とともに会議&飲み。3歳で聞いた玉音放送をそれを聞いたラジオのイメージとともに明確に覚えている先 輩や、毎年何か心に残る言葉を与えてくださる先輩。会議で決定する内容もむずかしい事は多い。3人で話していた時より8人で話し た時の方がより明確に方向が見えてくる。知恵を出し合える人間。一人で考えても解決しないことが少しずつでも先へ進んで行く。良 い時間の流れの中にいると感じられる。

 そんな中、「パスが出来る人間関係でいよう!」という言葉。共通の認識の中で自分がどこに動けば良いか理解して視線がちょっと 合えば相手の考えていることが伝わってくる仲間。

 高校時代のバスケットのチームってそうだったよな。全速力で走って飛んだその指先にパスがくる。そんな快感味わった経験がある のは貴重な事だ。試験のために勉強した事は忘れていても、パスの通った感覚は覚えている。

 平均年齢51歳のチームはどこまでパスが通るようになるのだろうか?


RC(Rectal Cancer) 2006年8月1日

もどる