RCのコラム 第24回 2006年2月

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2006.02.23 08:30(Thu) 最後の当直、無事終了

 夜中に投稿してからは当直としてのイベントは何事もなく朝を迎えました。これからは当直としてではない夜間の対応はあるでしょ うが、デューティーとしては終了。当番医などはやることになりますがちょっと違うニアンスですからね。

 体力的には若い頃と違うのですから、キャパが減った体力をこれから上手く配分していくことに気をつかっていきます。マイナス面 プラス面いろいろありますが一応熟年小児科医といっても良いところに達しているハズですからね!


2006.02.23 01:43(Thu) 最後の当直、中間報告

 夜7時頃から1時間半の間に7人の急患がほぼ連続してやっていらした。その後は外来はなく、病棟からの問い合わせ、オーダが2 件。外来の患者さんがいらした頃は、KUCのロゴの最終打合せと重なってバタバタしていた。特別変わった当直の夜では今のところ ない。

 趣味の世界の問題解決がちょっと面倒なきざし。意地をはらないで実現したい目標のためにどうしたら良いのかこの年になっても悩 む。それが生きてる楽しみでもあるのだろうけどね。

 人それぞれ違う感覚を持っていて簡単な言葉で説明するのは難しい、またNHKのプロフェッショナル仕事の流儀の話しを持ち出す が、昨日は第1回目の再放送、再放送だったので、ちょっとしか見なかったが、固く口を閉ざし苦虫をかみつぶした顔をしていた人達 が、共有出来るコンセプトを得た時に顔がほころび前向きな意見が出てくるさまは見ていて楽しかった。殆どのヒトが仲間と楽しく仕 事をしていきたいと思っているのにどこかでボタンの掛け違いが出てくると取り返しがつかない事態になってしまうのは良く経験する 。「共有出来るコンセプト」がキーワードのように思えた。二人以上の人間関係、共有出来る感覚って大切だよな。

 自分の中でキチンと出来ていない弱い所を突かれるとヒトは暴力的になる。手は挙げなくても言葉の調子が怒っているように聞こえ て来る。最近は少しはブレーキをかけられるようになったような気もする。それでもあるところまでは知らないうちにアクセルを踏ん でテンションを上げてしまう。そんな自分の気持ちの不安定さに気がついて一生懸命ブレーキをかけてやっとぶつかる寸前に止まる。 以前はよく衝突してしまった。

 人間関係が濃いほど相手に無理な要求をしてしまう、そんな時の言葉はとても未熟だ。もっとしたたかになろう、ぐっと堪えながら も、最後には笑顔で理解しあえるような力を持つようになりたいものだ。

 約1500回目の当直の夜だが、100回目くらいの当直の時は自分の弱さ故にヒトに傲慢に接していたなと思う。今夜の小児科の 急患の人達、1500回目の一応ベテランの私と接して気持ちよく家路についてくれたのじゃないかと思っている。でも、他の事では まだまだ未熟!


2006.02.20 17:14(Mon) なんとなく不調!

 今日は朝からなんとなく調子悪く、頭痛もして建設的な事ができない1日だった。私は基本的に元気タイプなので、ちょっと調子を 崩すとダメになっちゃいます。まあ、ルーチンワークの本業はなんとかこなすのですが、合間にはウトウトばっかりしてました。基本 的に体調を整えておかねばいけないと感じた次第。

 昨日、自分のお腹の出具合を見てその醜さにショックをうけたこともあり、今日から少し動こうと思ってはいたのですが、歩くとと 頭痛がするのでじっとしてウトウト、ちょっとこのままだと自己嫌悪を感じてしまいますので、夜の部は少し元気になれますようにと 念じちゃいます。この2日間は怖いというか残酷なシーンが出てくる夢を見て布団を剥いだりしていたのが今日の頭痛に通じたのか。 インフルエンザのウィルスを毎日浴びているので軽い感染を起こしているのかなとも思っちゃいます。

 さて、夜の部に向けて行動開始だ。


2006.02.12 10:53(Sun) クラブミーティング

 ヨットクラブのミーティングを月一回ひらいているが、昨日はじっくり2時間以上にわたる中身の濃いミーティングが行われた。今 までクラブの面倒を一手に引き受けて頑張っていてくれたツボちゃんが仕事がいそがしくなりなかなか手が回らなくなってきたのでそ れをクラブ員でシェアしながら頑張って行かなければいけない体制になったからだ。我々のZMYCは少ないメンバーなのだが、相模 湾では有名になったダブルハンドレースと逗子レガッタを続けている。我々にとってはビックイベントのこの二つのレースを今年も頑 張って行こうというわけでじっくり話し合った。ツボちゃんが今までしていた仕事の量がいかに大変だったかが分かる。

 とても一人で出来る仕事ではないので、それを分割して各クラブ員が責任をもってやっていかなければならない。大変だがクラブが また一歩前進するチャンスにもなりそうだ。まずはダブルハンドレースに向け頑張らねばならない。今回は18回目を向かえるレース 、我々のクラブが評価をいただいているホスピタリティーを十分発揮できるようにしばらくは毎週ミーティングで頑張ります。

 これをお読みのダブルハンドレースに参加された関係者の皆さん、今年も頑張りますので参加をお待ちしていますね。


2006.02.10 17:20(Fri) 68020

 引っ越し準備の後片付けをしていて、壊れたコンピュータの基板から外したCPU、モトローラの68020。このCPUの乗って いるコンピュータを手に入れたことがソフトをここまで作り半ばプロになるきっかけだったのではないかと思う。

 このCPUは、Sun Micro Sytemsのコンピュータ Sun 3 50に搭載されていたもの。手に入れた時は夢の コンピュータだったが今となってはそこら辺に転がっているコンピュータの足下にも及ばない速さだ。でもこの当時OSの作りから、 先進性からあこがれのまとだった。しかし、実際このコンピュータでは実用的なシステムを作るまではいたらなかった。実用的なシス テムはNeXTの日本語化が完成する1991年まで待たねばならなかった。

 

 まともなプログラミングの基礎をしっかり勉強させてもらったコンピュータだった。Sun 3 50はこのCPUだけ記念に残す が、NeXTはキューブを私の永久保存にしようと思っているので、黒い箱は次のKUCにも持っていくことにする。そう、このCP U、NeXT Cubeでは68040になって使われていたのだったけな。最近はCPUを殆ど意識しないでプログラム書いている なぁ!


2006.02.09 15:33(Thu) 18年弱のゴミの山と対面

 退職にともなう荷物の整理を少しずつ始めました。いやはや大変です。殆どの物を捨てる事にしています。ゴミの影から思い出の品 なども出てくるのですが、それをいちいちとっておいても仕方ありません。なくて生活に困らなかったものはどんどん整理するという 基本方針で行くつもりです。17年間いろいろ貯めてきたというか整理できずにいたものとの格闘の日々が始まったというわけです。

 今から33年前に作ったLPレコードが出てきました。勿論自費出版のマスターベーション的なレコードなのですが、確かだれか買 ってくれた人から引き取った手元に1枚だけあるものです。思い当たる身近な友人にはLPのプレーヤーを持っているものはいないの で音を再生することも出来ない、幼稚なジャケットの写真を撮ってさよならするかな。LPからCDに焼いてくれるヒトがあったら頼 もうかとも思っていますが、「恥ずかしいから聞かないでね」てな感じです。


2006.02.06 20:00(Mon) 最近の週末

 午後3時頃、仕事の後始末をしてハーバーに到着、ビールを2,3杯のみながら、クラブハウスに集まった人達とお話。そのうち、 西の空が少し赤みを帯びてくると、4,5人で夕暮れの海に舟を出す。勿論、この季節の風はかなり冷たい、風に吹かれるむき出しの 手は赤ん坊の手のように冷たくなる。この時間になると江ノ島から葉山沖の見渡す範囲には舟はほとんどいない。セールを上げてエン ジンを切る。Zephyrのボルボのエンジンは相当静かな方なのだけどエンジンが止まると他の音が聞こえてくる。風の音、小さな 波の音。夕日をしばし隠していた雲の下、伊豆半島との間に真っ赤な夕日が顔を出す。海はあかね色に染まり舟の艤装品を染める。夕 日が伊豆半島にかかって2分30秒後太陽が最後の宝石のような光を放って山に沈む。空がだんだん紫色がかってくるころ、舟をマリ ーナ方向に反転して帰路につく。

 相模湾は綺麗な所だ、伊豆半島の付け根に特別な形の富士山、周囲に煙突の立ち並ぶ工場はどこにもない。三崎から亀木崎までぐる っと囲まれた陸地南側は太平洋。その真ん中よりちょっと右側に大島が浮かぶ。夕日に照らされていた東側も太陽の光が届かなくなる と、色を失いグレーの世界になっていく。

 ハーバーにもどり舫をとるころには体は冷え切っている。クラブハウスにもどり、熱〜い焼酎のお湯割りで体をあたためる。夕食を なににするか決まると、タクシーに乗っておでかけ。やれ、中華だ、タイ料理だ、インド料理だそれなりにこの地域はバラエティーの ある物が食べられる。飲んで食べてひといきついて解散。私は「花ごころ」に寄って、最後の与太話をオーナ夫妻に聞いてもらう。

 こんな生活をすると、日曜日の出だしはどうしても遅くなる。昼過ぎにハーバーに顔を出し。コーヒー飲んで、少しまじめに今年の クラブイベントのだんどりを相談したり、大人のプロジェクト・メンバー同士の意識のすりあわせしたりで時間を過ごす。

 こんな週末も楽しいのだけど、どうもこれだけじゃいけない。なにかもう少しやらないとね。


2006.02.01 12:19(Wed) 綺麗なオフィス

 最近のお気に入りの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」、昨日はアートディレクターの佐藤可士和氏だった。今、売れっ子の 商業デザイナーだと思う(その方面の知識はほどんどないけど)。

 このシリーズは今のところはずれがなく毎回楽しんでいる。昨日の番組で印象に残ったのはそのオフィスの整然と片づいていたこと 。Macの30インチディスプレーがならぶ、広々としたオフィス。机の上にはキーボードとマウスとディスプレーしかない。まあ、 TV用に片付けられたことも想像されるが、アートディレクターとしてオフィスに気を使っていることも確かだろう。それに比較する と私の机の回りはひどい。結局積み上げられていいても本当に必要なものは殆どないのだ。

 KUCに移るにあたっては、荷物の整理は大幅にする予定だ。しかし、どこまで出来るかなぁ。兎に角、これも習慣である事は確か だ。30インチのディスプレーにウィンドウがひとつしか開いていない絵が多かった昨日のTVどうみたって演出だろうけど、そこま でしているからヒトにインパクト与えるというものだ。


2006.02.01 00:41(Wed) 呆れた!

 いろいろ忙しくなってくるとついここに書けないでいます。ついに2月になりました。時はどんどん経過していきます。KUCも床 板がはられ、フラットな床面になっていました。31日はネットワークケーブルの最終チェックで、ハブを使わなくても良いように複 数同じ場所に張ってもらったりしました。ハブ買うより安く済むのでね。

 プリンター、FAX, コピーの複合機が現実的なレベルで使える時代にもなってきました。今回のKUCのカルテはペーパーレス でやっていくつもりです。大規模な停電がないのが前提となる世界です。バックアップも今まで以上に真剣にとらなければなりませ ん 。まあ、これらも含めてチャレンジです。

 1日から今の職場での小児科廃止のアナウンスを患者様にすることになります。さてどうなる事やらです。幸い、小児科廃止の案内 にKUCのオープンも一緒にアナウンス出来たので少しよいかもしれません。

 ストーマ関連の話しをひとつ、昨日、パウチセットを入れたバッグを置いたまま帰ってしまいました。人工肛門の生活を意識するこ とが少なくなった裏返しではあるのですが、ちょっと自分自身に呆れてしまいました。3月11日のストーマ研究会の準備も少しずつ 始めていますが、1時間お話する時間をいただいたので、準備をしっかりしなければいけません。以前、電子カルテの話しで1時間 し ゃべった事があるのですが、ストーマに関することで、聴衆の皆さんに有意義な時間をすごしていただけるかは不安が残るのは事 実で す。さてさて、2月もアクセル開けて濃い時間を過ごさなければ。。。。


RC(Rectal Cancer) 2006年1月1日

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