RCのコラム 第10回 2004年12月

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2004.12.31 10:21(Fri) 心から今年は私にとって良い年でした

 直腸癌になって人工肛門になって、、、

 でも今年は私にとって本当に良い年だったと実感出来ています。

 不思議ですね。でも負け惜しみでもなんでもなく、心からそのように感じています。素晴らしい仲間や友達とより深く心も通じ合い 、新しい友人も沢山出来ました。

 ストーマに関して言えば、先輩方の情報のおかげでまだ8ヶ月弱ではありますが、悲惨な失敗はただの一度もありません。精神的に も私にとってはなんの負担もなく、肉体的にも楽になりました。

 一生心に残るようなイベントにもいくつか参加でき本当に充実して中身の濃い時間をすごすこともできました。

 感謝の気持ちでいっぱいです。読者の皆様、本当にありがとうございました。


2004.12.27 16:11(Mon) スマトラ沖地震と津波

 被害はインド洋周囲に広がっている。

 我々が行ってきたプーケットはインド洋の東の端、アンダマン海に面している。震源地はインド領のアンダマン諸島、その南につら なるニコバル諸島、このニコバル諸島あたりで起こったようだ。プーケットの真西500kmほどの所が震源地のようだ。もっとも大 きな被害をだした、スリランカやインドまでは1000kmほど離れている。この二つの諸島がインド領だというのも認識している人 はほとんどいないでしょうね。私も地図を見て知ったこと。

 プーケットに12月4日から12日まで滞在していた私たちとしては、プーケットの被害がもっとも気になる。もし我々がヨットレ ースをしていた時にこの津波がきたらどうなっていたのでしょう。津波来襲の時刻はすでにヨットレースが始まっている時だったので 、沖にいたので、我々自体はなんとかなったかもしれない。それでも、普段よりずっと潮流が津波の影響で強くなっただろうし、波の 大きさも海岸で10メートルとも伝えられているから、3マイル沖でどんなものだったのかは分からない。

 以前、インドネシアの太平洋側でおこった津波が日本に来た時にそれを目撃したことがある。夜中に葉山のラマーレにいたら、潮が どんどん引いていき普段みたことも無い所まで海底が現れた。川が流れるような音がしていた。その後、波が押し寄せるというよりは 潮位がどんどん上がっていくという感じだった。

 今回は、プーケットの浜からみていた人によると、潮がどんどん引き、魚が引いた砂の上に取り残されるほどだったようだ。その後 沖から波がやってきたのだそうだ。また他の地域の人の証言では、沖から来る津波の上に霧もともなっていたという。

 いずれにせよ、あの平和なリゾート地の海岸は海に飲み込まれ、道路を越え、堤防を越え、我々が遊んでいた記憶に新しい場所を海 水が覆ったのだろう。私のストーマをみて驚いた顔をしていた、あの海岸でタイ式マッサージをしていたおばさんは、どうしたのだろ う。

 もし我々がいた時だったら、なんとか沖にヨットでいたために無事だったとしても、宿泊していたホテル部屋はすべて1階だったか ら、海水に飲まれていただろう。

 沖から泊地にもどって来る時に岸から流された沢山の家具や、車、はたまたおぼれた人を見ることになったのだろうなぁ。

 プーケットでの死亡者の8割は観光客とのことだが、リタイアしてゆっくり夫婦で南の島を訪れている白人達が多くをしめていた。 想像するだけどぞっとしてしまう。


2004.12.27 15:11(Mon) 肺癌と闘うソウルシンガーKOUTAROが亡くなっていた

 テレビやラジオなどで、見られた方もいると思うが、 Super Soul KOUTAROさんが12月15日に亡くなられたようだ。

 彼のCD、TVみて欲しくなって買った口です。

 最後までライブを精力的にこなしておられたようです。元気づけられた方は沢山いるのでしょう。同時に悲しまれた方にもなってし まわれたと思いますが。


2004.12.24 21:01(Fri) 今は幸せ!

 ふと思った。今は幸せ。

 直腸癌が少し落ち着いていて、今まで以上に充実した日を送っている。何年かに一度しかできないような楽しいイベントもこなした 。

 直腸癌そのものだって、まだ1年も経過していない。たとえ直腸癌が良好な結果をとったにせよ、シニアはこれから良くなることは なく、いろいろな所が壊れていき、徐々に弱っていくか、はたまた何かの調子で一気に逝くか。まあ、こんな事考えても、どうにも変 えられる物ではない。ただ、今の調子が良いからといって浮かれて忘れているのもどうかと思うと感じた。

 まあ、そう感じたというだけの話し。

 今でも、「太く短く、あわよくば永く」と基本的には思っているが、細くも太くもなく、しがみついて生きるのはイヤだなと感じて いる。人間弱るとしがみついてでもなにをしてでも生きたくなるように生命というものは作られているのだと思うから、将来の私がど う生きるかは、その時になってみなきゃぁ分からないという事ですね。

 何、書いてるのか私?!?


2004.12.22 09:33(Wed) アジアのストーマ事情

 プーケットでマッサージを受けていて、ストーマを発見したマッサージのおばさんが驚いていた。

 昨日、ストーマ関連グッズの卸しをしている会社の方に聞いたら、アジアでパウチを使っている国はまだあまり無いらしい。値段の 問題もあって普及していないとのこと。ストーマの上にガーゼを乗せたり、お椀みたいなものをあてていたりなんていうのが有るらし い。

 30年前は日本でもそのような時代があったとか。

 今の平和な時代に感謝ですね。


2004.12.22 09:23(Wed) ちょっと二日酔い

 ストーマになってから二日酔いしないと自慢していたが、今朝はちょっと二日酔い。一緒に飲んだ相手が悪かったか(笑)

 昨日のことだけど、冬至の午前中はとても天気がよくて、これなら冬至の時の日没を写真におさめられるかな?と思っていたのだけ ど、午後になると雲がたっぷり出てきて、その望みもたたれたのでちょっと残念。

 昨日は新たな、名古屋在住のストーマの先輩からメイルをいただいた。テニスを楽しんでおられるとのこと。文面から元気なすがた が伝わってきた。


2004.12.21 09:14(Tue) 湯船にゆったり

 朝風呂でゆったりというのもなんですが、今朝はシャワーだけでなく、ゆったりと入浴した、何故ゆったりだったかと言えば、湯が ぬるく、温めるまでに時間がかかっただけなのですが。でも、気持ち良かった。

 プーケット行っていらい、軟便が続いている。最初は食べ物の違いによる軟便、帰ってきてからは胃腸炎を起こして下痢。それもそ ろそろ落ち着いてもらえそうだ。


2004.12.20 12:58(Mon) 感冒性胃腸炎

 昨日は夕方から寒気と吐き気、それに下痢で参ったなぁ。術後初めて軽い腹痛を味わった。それでもストーマになる前よりはずっと 軽いけど。先週後半から下痢傾向だったが、腹痛はまったく無かった。今日も昼を食べたら腸が動き出し、食べている時からちょっと 腹痛、その後すぐ水様性の下痢。まあ、もうちょっと出たら始末して来ようかな。

 とにかくストーマは私にとってはとてもとても楽。この平和な世の中で流通がうまくいっていればなんの問題もなし。平和に支えら れているということだけどね。


2004.12.20 11:48(Mon) 思い出し日記 9

 12月12日(日曜日)

 今日は日本に帰る日、朝6時にピックアップということなので、暗いうちにロビーでチェックアウト。来る時に餞別でもらったシャ ンパンがまだ手元にある。朝暗いうちから、食堂からコップを拝借してきてロビーでシャンパンを開ける。静かに開けようと思ったが 、思い切りの良い音で暗いロビーに「ポンッ」とコルクの音が響く。

 帰りはバンコク経由。バンコクまでは約1時間、バンコクの郊外の町並みを見ながら着陸。1時間半くらい時間をおいて、今度は成 田へ。インドシナ半島の上空を飛んでいると人間はどこまで自然に手を入れるのだろうと思ってしまう。タイからラオスにはいると山 間部はあまり人の手が入っていないよう。あとは雲にかくれて下はあまり見えない。だんだん夕方になっていき太陽のひかりも傾き寒 くなるんだろうなという予感がある。あぁ、夢の時間も終わりかぁ。

 成田に日本時間の18時40分ころ到着、通関はスムーズ、空港でラーメンを食べて解散。

 初めていったメンバー曰く、「話しとぜんぜんちがうじゃない。暑い暑いと聞いていたが、蒸し暑くもなくすごしやすい。風がない ときいていたが、良い風吹きっぱなし」

 確かに今年は良いシーズンだったようです。船の乗りにくさや、コミッティーの問題などありましたが、総じて不満はなく、本当に 充実した毎日をすごせました。普段とは違い1週間が少し長く感じました。命のパワーもふくれあがり、体内時間がすこしゆっくり動 くほど若返っていたのかもしれません。


2004.12.20 11:00(Mon) 思い出し日記 8

 12月11日(土曜日)

 日記はその日に書くものものだねぇ。時間がたってから書くと報告書みたいになってしまう。しかし、このシリーズ、楽しみが多く てなかなか日記を書く暇なかった。写真があるのが救い。

 さて、いよいよ最終日。この8日間合宿練習をしているようなものだからチームの技量は日に日に上がっている。今日のインショア は変形コース。上マークからサイドマークにうつり、サイド側に真下に3番マークがある。2番3番を2周してその後4番の下マーク に行き、そこからスタートラインに向けて登りの最終レグがある全部で9レグのコース。

 スタートはやはり思い切れず中途半端な位置。プラクティスレースの接触いらいどうも回りの船が信じられない。風はインショアの レースの中では一番あり、登りではかなりオーバーヒールするようなブローも来る。スピンワークは安心してみていられる。しかし、 2番3番マークの2週目のスピンアップで今回初めてトラブル。バウはこの日かなり忙しく、スピン整理したらまたすぐ次のスピンア ップという状態だった。スピンハリのセットをしなおして、かなり早く復旧した。風の振れはあいかわらず20度くらいある。最後の 下を回ってからはほぼ片登りでフィニッシュラインを通過できた。

 結局総合成績は10位とふるいませんでしたが、成績が良いにこしたことはないのですが、この場に参加してレースをまじめにやれ たということで満足はしています。

 陸にあがってから、プールで遊んでいるとスコールが来ました。一気に気温も下がり濡れたからだでは寒いくらいでした。レース中 に知り合った他の船の連中とスコールの中バーの屋根の下ではしゃいでいました。

 夕方の表彰式はタイの王族が参加されての式典、残念ながら日本からの参加チームは表彰されませんでした。我々も白のアロハと長 ズボンで一応正装で参加。参加賞のメダルをもらってうれしがっていました。表彰式のあと、昨日の審問でお世話になったジュリーと コミッティーが我がN隊長に握手を求めてきました。タイ軍の王室警護の兵隊さん、なかなかかっこよく、並んで写真をとるのも応じ てくれていました。

 最後のパーティーもそこそこに、もう一度パトンの街の屋台で食べたいというリクエストでパトンにむかう。

 美味しい料理でお腹いっぱいになり、パトンの夜は更けていきました。


2004.12.20 10:04(Mon) 思い出し日記 7

 12月10日(金曜日)

 早く書かないと、思い出せなくなる。。。

 レイデイも楽しんだが、疲れは少し取れたようだ。今日は2日目と同じ3角コース。

 スタートではフレッシュウィンドをつかむ位置につけず苦しい展開。風はまずまずの軽風、風向きや風の振れ具合も第2レースと同 じような感じ。今日は上マークがちゃんとした位置に打ったので、みんなそれを回る。周囲の船は同じような船の顔ぶれになってくる 。名古屋中心のJUSTチームのシンパチコとは登りでシンパチコにぬかれフリーで抜き返すという展開。わがチームのスピンワーク はかなり上達してきて、ジャイブも問題なく決まるので安心。あいかわらず登りの舵取りは難しい船だ。最後の上マークを回ってサイ ドマークに向かう時、シンパチコがジャイブセットでスピンを上げる、何故?と思いながらも我々はサイドマークに向かう。シンパチ コは旗門不通過だ。

 アンカーリングポイントにもどって、昼食。ランチにはレタス、ハムなども増え、美味しい。ハムは1kg単位でしか買えなかった とのことで、ハムは3枚入りで豪華。船の上で飲むタイウィスキーが底をついた、Hは、ドラゴンボートのお兄ちゃんに陸に行って買 ってくるように指示。気持ちよく引き受けてくれたので、お陰様で美味しい船の上のお酒を続けられた。

 陸に戻り、レース本部の掲示を見ると、シンパチコそのままフィニッシュになっている。入賞を争っているレベルに私たちはいない のだが、レースコミッティーがマーク回航をチェックしていないのは問題ありなので、抗議をすることにした。シンパチコがRETと いうことなら抗議を取り下げる。他の船の旗門不通過もありそうだが証拠はない。コミッティーに対する抗議もありうるといった内容 であった。シンパチコはRETをし、コミッティーは十分今後に配慮するということになった。抗議に参加したN,N,Hの3人は今 回のイベントの中では一番面白かったと喜んで部屋に帰ってきた。裁量の仕方がとても面白かったようだ。

 パーティーも残すところあと2回、2回ともカタビーチリゾートで行われる。小錦みたいな体型のドラマーがいるバンドが昼からし っかりセットアップしていた。我々の成績はいつも同じようなIRC-2クラスの真ん中ほど。Blue JuiceのチームのIR C-1のクラスは今日3レース行われ。本日の成績で総合1位となり、表彰台に呼ばれていた。日本チームが過去1位をとったのはこ れが始めてだったとのこと。最初のアクシデントにめげずよく頑張った。たいしたものです。

 パーティーの後半、バンドが登場すると会場はいっきにもりあがり、そこらじゅうでみんな踊りまくっている。ダンサーも衣装をと っかえひっかえ登場。女性なのだが、どうも昨日の夜の印象が残り、オカマかとおもっちゃう。オカマの方がきれいだったかも。

 パーティーでジンロックなど飲んでいたせいか、私は睡魔がでてきて、街に流れず、爆睡モードへ。


2004.12.18 00:19(Sat) 思い出し日記 6

 12月9日(木曜日)

 今日はレイデイだというのに珊瑚礁の島へのツアーのピックアップが朝7時半だと。う〜ん!

 O君、初心貫徹でひとり象と川下りのツアーに一人で参加、ホテルに残るの二人、その他7人でKOH-KAIに向かうツアー、K OHは島という意味みたいなのでKAI島にいくツアーということのようだ。プーケット島は大きな島なので車で島を横断するにも1 時間ほどかかる。カタビーチを出て、プーケットタウンに入り、延々と走って反対側の海岸にでる。遠浅の浜にレース海面でもみられ るチャーターボートがたくさん泊まっている。普通のパワーボードに見えるがキャビンがなく、バウも吹き抜けでそこにも10人くら いすわれる。ライジャケしっかりきせられいざ出発、外に出たら、チョッピーな波をガンガン飛び跳ねながら200馬力の船外機の3 機がけのボートがカッ飛ぶ。15分くらいでKAI島に着くのだが、もううんざりという感じ。

 このKAI島にしたのは、初めピピ島にしようかと思ったのだがツアーコーディネートの店のお姉さんがピピ島は人が多すぎてだめ 、ここの方が良いというので決めた。つけば小さな島だが半分珊瑚の白い砂、反対側に緑の岩山がある小さなところ、しかし、ビーチ チェアーとパラソルは沢山ある。私たちはピックアップが早かっただけあって一番のり。

 波打ち際の美しさって砂できまるんだね。珊瑚の白い砂は波がきても水がにごらない。白っぽいすなでも水をにごらせるような浜は それほどきれいに感じない(カタビーチがそうだ)。早速カメラを持って、膝まで海に入って写真を撮る。難しい!島を半周歩いて回 る。

 今日は、ここに午後までのんびり。ちょっと退屈だけどそれもいいのでは、やはりレースの疲れはだいぶたまっているから。ビール を頼んだらえらくぬるい。今日は休肝日にしておこう。ビーチチェアーでうたた寝も気持ちがよい。

 しばらくすると、他のツアー客もやってくる、アジア系の人たちが多い。中国か台湾の人たちがかなり乗り付けてくる。にぎやか、 にぎやか。眠い目をたまにあけながら人間ウォッチング。11時からシュノーケリングに行く人たちはボートにのってちょっと離れた 珊瑚礁にでかけていった。私はウトウト、、、

 昼ご飯はトタン張りの食事スペースでバイキング形式。まあ、アジアの飯はどこでもうまい。

 カタビーチはアジア系の観光客が少ないのに気がついた。ほとんど見かけない、きっとアジア系の人たちは違う所に泊まっているの だね。

 午後3時前に島をでて出発したビーチにもどる、ぐんと潮が引いてボートは遥か沖でアンカー、そこから浅い海を歩く。

 

 ホテルに帰って一休みしてから夜の部へ、パトンの屋台で飯食ってから、皆さんなぜが盛り上がっているオカマのキャバレーショウ 。このショウ、一見の価値はある。まあ、ほんときれいどころがそろっている。お決まりの三枚目系の芸も面白い。今流行のイケメン 系の男たちも出てくるの女性陣も大喜び、我々も面白かったが、盛り上がっていたのは女性たちだった。

 こうして、タイ、プーケットの夜は更けていくのでありました。聞けばBlue Juice組はボートショーを見にいったとか。 。。。

 さあ、もうあと2レースのみ。がんばってみたいものだ。


2004.12.17 10:07(Fri) 思い出し日記 5

 12月8日(水曜日)

 今日はショートオフショア、1レース目より単純なコース、スタートしてウェザーマーク、南にくだってゲート、さらに南に下って 島の手前のゲートを回航して最初のゲートをもう一度とおり、ウェザーマークを回って登りの

レグでフィニッシュライン。

 朝からレース本部のフラグもたなびいている。雲も少なめ。

 オフショアなので、スタートラインは軍艦。今日から自分の判断で突っ込むというのでちょっと緊張しているが、バウマンの協力も あり、本当に運良く上一でスタートを切れた。ウェザーマーク回航は3位、Royal Navie速いしレーティング低い、、、、 南下はクローズリーチ、しかしフリーで走っている時のようにラットグルグル回しだ。ウェザーヘルムがでるようにメイン調整しても らうが、波の影響でヘルムがえらくかわり、少々の当て舵では修正できない、そのため蛇行傾向が強まる。あまり楽しくないヘルムス マンの仕事が続く。Kちゃんメイントリムでがんばってくれる、他のメンバーはハイクアウト。

 第1ゲートまでに2,3隻に抜かれる。第2ゲートへのアプローチはややクローズ気味か。このあたりではチャネルになっているの で潮のせいもあり波がわるい、なおいっそうヘルムがしんどい。後ろからスタートした、カタマランやクラシッククラスのでかい帆船 がせまってくる。でかい帆船、我々にとっては悪い波のなかでも、広いデッキの上を歩くクルーは手すりにつかまりもせず歩いている 、揺れないのだろうなぁ。このレグはけっこう長く、少々つかれてきた。

 第2ゲートのマークを回航、さきほどのでかい帆船も同じマークを回航する。その脇をスポーツボートクラスの小さいのも回ってい る、なんだこりゃという感じ、日本では考えられないなぁ。マーク回航してスターボータックになって同じラインを逆行する。うーん 、マーク回ってから同じクラスの船に差を付けられている。集中力がとぎれたようだ、Nさんにヘルム変わってもらう。しばらくして ジブを出してもらったら、走りが良くなった。ジブの風見でトリムしていたのだけど、この角度ではつめすぎだったみたい。離された 船とほぼ同じ速さになった。もうちょっと早く気づくべきだったねぇ。

 第3ゲートまで休ませてもらったので、再びヘルムにもどる。最初のマークにもどるのもリーチング、このころになると風が息をつ きだすが、それでも吹いてくると爆弾パワーのブローが来る。上側からBlue Juiceチームが抜いていく、彼らのクラスまで はコースが我々より長いので5分早くスタートしたが、ここでラップされる。沢山写真もとってあげた(しかし、後で聞くと側にいた のむこうは知らなかったらしい、どうりでカメラ目線のクルーはだれもいない)

 最終マークを回って、IRC-1のクラスの船達と一緒にフィニッシュ。成績はかんばしくないが、楽しめたレース。バウマンたち はハイクアウトしか仕事無しのレースでした。

 ランチはますます美味しく、上陸してからはプールで気持ちよく飲んだくれる。宿泊先をこのKata Beach Resort にしたのは私たち年寄り組が少し高くても、朝が楽だし(他のチームは歩いて15分かかって来るらしい、朝早いレースではしんどい よねぇ)ここを主張していた。アジアを安く旅行するベテランのNじやTちゃんは最初もっと安いホテルと思っていたのだろうけど、 この日あたりから、このホテルにしたことに満足してくれている。プール、バー、波の音を聞きながら風にふかれながら受けるタイマ ッサージ。朝食も海が見えるテラスできれいな鳥とそこらにいる猫など交えながら食べられ、文句無しです。

 パーティーは始めて行くOrchid Resort Hotel、このホテルは海からちょっと離れているけど、なかなか良い、 プールサイドでのパーティー、食事もうまい、Bluce Juiceの面々は今日はクラスで1stホーム、修正3位で表彰されて 、だいぶ気分が明るくなったようだ。逗子マリーナで昔からの仲間Aくんも家族そろって、この日からBluce juiceチーム に参加です。ビールで良い気持ちになり、ホテルに帰ってプールサイドバーでよりとめない話しをする。明日はレイデイ、昼間は、ホ テルでうだうだ組、コーラルアイランドへのツアー、象乗りツアーに分かれることになる。

 今回のチャレンジの財務担当からのリポート、備忘録として載せておきます。

 財務担当レポート

Singha Beer
町の酒屋 50BHT
ツアーで行った小島の売店 70BHT
Patong Beach の路地屋台 70BHT
ビーチサイドの売店 80BHT
ホテルのプールサイドバー 100BHT

日本で両替していった換算レート(BTM) 1THB=3.09YEN
空港の銀行換算レート
1THB=3.85YEN
ホテルの換算レート(Kata Beach Resort)
1THB=3.87YEN
街角の商店の換算レート(Boat House至近)
1THB=3.66YEN
ATMでのキャッシングレート
1THB=2.70YEN
結論=金はキャッシュで持っていくな。ましてや円を現地で両替するな。
THBのキャッシュが欲しければ、現地でキャッシングするべし。
(但し、1回につき150BHT(≒450円)程度の手数料はかかるが)

フローズンダイキリ

Kata Beach のプールサイドバー 200BHT (味に不満なし)
ボートハウスは2割高


2004.12.16 17:30(Thu) 思い出し日記 4

 12月7日(火曜日)

 今日は第2レース、上、サイド、下、上、下、上、サイド、下の8レグのコース。朝食事に外に出ると、どよよ〜んと曇り風がない 。旗はだら〜とたれている。

 前回の時のように風待ちかな?と思いながらレース海面にむかうと結構風も出てきた。全体的には弱いがブローがくると10ノット 強の風がくる。スタートは今日も芳しくない、思い切りが足りないのだ、プラクティスレースの接触がすこしトラウマになっている。 インショアのレースは、IRC-1より速い船と我々で海面が異なる。3番目のグループのスタートになる。風は最大20度ほどシフ トするのでなかなか難しい。しっかり重い船なので、とまらないようにスピード、スピード。

 どうも先行グループの回るマークが違っているようなのだが、風上マークは見つからない。サイドマークは、内側と外側に二つうた れ、風の強さで長さを変えられるような設定になっている。結果的には、内側のマークを上マークとしてまわり、外側のマークをサイ ドマークとして先行艇が回ってしまった。コミッティーも無線でこの状態を報告していたが、結局全艇このコースを回ったので、これ でレースを成立させた。コミッティーもうちょっとしっかりしてよ。

 当然ながら、上からサイドまではスピンで走るにはかなりきつい、特に我々の船のスピン、上れない。Zephyrの方がよっぽど 上る。微風のレースなので、マーク回航の時かなり接近する。トラウマと自信のなさで、舵のとりかたがひどい。IRC-2クラスの 真ん中あたりでフィニッシュ。

 レースが終わって沖でセイルをおろして、漂いながら食事、毎日、ランチが美味しくなっていく、買いだしチームの能力がアップし てきているのだ。今回ビールと水は、回航クルーに、途中で免税のものをたっぷり買ってきてもらっているので、毎朝、氷を大きな袋 で二袋積み込むだけだ。レース中の水の消費量はかなりのもの、積み込んだ飲み物だけだってかなり重い。地元のウィスキー(と書い てあるが、ラムの味)をオンザロックで暑い所で飲むのも良い。Nさん、H、私はこれがお気に入り。レースの反省会しながら戻る。 どうもKちゃんにたよりすぎだったので、明日から、自分たちで決めて走る決意をする。Kちゃんもたよられるような立場ではないの だからね。

 地元の漁船、乗り込んでいる人の数が多い、家族で乗っているだろうけど、船に鈴なりだ。デザインも上を中心に弧を描いていて、 立てない高さくらいで4層くらいに窓がある。これって床も平じゃないみたい。

 今日のパーティーはボートハウスパーティー、海岸をネットでかこみそこでのパーティー、ワインパーティーで食事はおつまみ程度 。Blue Juiceの面々は今日のレース、昨日のケースのため、自主的に不参加。けが人の容態は安定してきたようなので、明 日のレースから復帰を決めた。

 前回は表彰台に呼ばれたのだが、今年はいかんともしがたい。メンバーのTちゃん、Miちゃんは入賞したクルーにとけ込んで記念 写真とって、わいわい盛り上がっている。カタビーチの街を散策しながら、今まで入ったことのない店に入る、正解とはいかなかった が、どこでもまずいものは無いのがタイの良いところ。店に入っているバンドは、60年、70年台の曲をやっている、ここにあつま る人の年齢層を現しているのだな、これが。

 街の店をひやかしながら、もどり、今日は早めに就寝でした。


2004.12.16 10:18(Thu) 思い出し日記 3

 12月6日(月曜日)

 今日は島回りのロング、40マイルと聞いていたが、30マイルちょっとが実際の距離みたい。スタートは8時55分が我々のクラ スIRC2(18艇)とSunsail One Design class. Sunsailはこのあたりで一番大きなレンタル ヨットで34フィートから50フィートくらいまでの船が沢山いる中の8艇。

 朝6時半から朝食がとれる、明るくなってからすぐだ。7時20分にはホテルを出発、浜をはだして歩いてドラゴンボート(我々が 勝手に呼んでいるだけ)を10人で400バーツに値切って、El-Seaに向かう。今日のレースの本部船はタイ海軍の軍艦。レー ス海面はかなり沖なので、フルスロットルで40分くらい沖に向かう。King's Cupのロングの面白い所は、コースに通過し なければいけないゲートが数カ所設定されている。風の無い時は途中のゲート通過時刻をフィニッシュタイムとしてレースを成立させ 、かならずパーティーに間に合う時間にレースが終わる。しかし、今日は良い風だ。スタート時で15ノットは吹いている。ワンポン している船もちらほらいる。途中でテーザーチームのBlue Juiceとすれちがう、J-120をチャーターしてIRC-1に エントリー。

 スタートは本部船側をねらうが、気持ちが中途半端で良いスタートは出来なかった。まずウェザーマークへ向かう。我々より先に速 いクラスが3クラスすでにスタートしており、かれらのウェザーマークは我々より遠い所にある。7,8番手くらいでウェザーマーク を時計回りして南に向かう。風はクローズリーチ。波はそこそこ。しかし、このEl-Sea登りに近いのに舵が決まらない。フリー で走っている時のようにラットをグルグル回さなきゃならない。船も重い、慣性が強い、舵の効きが悪い。操船が下手になったような 気がする。まずは最初のゲートに向かう、潮は追い潮、ガンガン行く。

 第1ゲート手前でセールを降ろしている船が何杯かいる。小さなスポーツボートが大きなスワンに曳航され、その側でBlue J uiceもセイルを降ろしている。何かケースがあったようだ。艇速もあったので細かい所まではわからない。しかし、なんでリタイ ア?と思いつつ我々はレース続行。

 第1ゲートを追加すると少し東に向かい、いくつかの島の間だを通り今日のコースの南東の端の島のゲートを目指す。島の間だの潮 はけっこう強いが風が強いのでまあまあ、しかし、チャネルの真ん中を通らず、出来るだけ島よりでタックをくり返す。側に見える船 はさほど位置関係が変わらない。しかし南端のゲート通過時にチャネルの反対側を通っていった連中にやられてしまった。

 南端ゲートをまわりフリーになる、スピンが欲しい所だが修理中。あのヘロヘロスピン、この風で上げたらまた破れるからあっても どうせ上げられないと、言い訳しながら、なんとか気分をふくらますが。ここで数杯に抜かれるスピンがあればねぇ。

 観音にしたり、少し登り目に走ったりしながらゲートを通過、ここからはまたクローズリーチだ。風はかなり上がってきて20ノッ トを超えている。ウェザーマークだった所を時計回りに回って、風上に移動した軍艦の本部船に向かう。この時は30ノットちかい風 に上がっていてけっこう迫力。最後のレグでもタックを3回くらいする。その間にフリーで先行されていたシンパチコをとらえる。レ ース所要時間は4時間8分10秒。平均8ノットくらいのボートスピードかな。コースの長さを正確に知る資料が手元にない。

 いろんなところでKちゃんに怒られながらのレースだったが、反省点もだいぶ出てきた。高レベルの人がいるとやはりついたよって しまう。

 アンカーポイントについてから美味しいサンドとビール。風は徐々に落ちてきている。のんびりしてから上陸。カタビーチリゾート のプールに飛び込む。レースに履いていた短パンでプールもなんとか大丈夫。Hがプールの中のバーカウンターでフローズンダイキリ をたのんでいる、前回はこのバーのダイキリはバツだったのだが、今回はボートハウスのバーをしのぐ美味しさ。プールにつかりなが らはたまりません。なんか、温泉状態。

 今日のパーティーはハイアットホテル。広い敷地の庭に大きなテントを張ってそこがパーティー会場、会場にはほぼ一番のり。食事 は、昨日よりはちょっと落ちるがそれどもそこそこ美味しい、そうそう、今回はビールのスポンサーがプーケットビールからチャンビ ールに変わっており、このチャンビールは癖が無く、うまい。ガンガン飲める。パーティー会場にすべてこのビールのサーバが出てい るのが今年はよかった。

 椰子の木のしたの芝にすわり今日のレースの反省しきり。Bluce juiceのケースは下を走っていたスポーツボートがワイ ルドタック状態で突然船の前に現れ突き刺さったもよう。相手側のクルーが病院に運ばれ3回の手術を受けたとの情報で、テーザーチ ームは当然ながらショックが顔に出ていました。

 パーティーを抜けてからカタビーチの斜面にあるお店に、マルガリータならぬマガリータというカクテルがある店。そうそう、この 店での最高のもてなしは、ハッカが少し入った水で湿らせたタオルを冷凍してかちんかちんになっているのを出してくれた。これとっ ても気持ち良い。日本にも持子みたいサービス。是非来年の夏は逗子のヨットクラブで海から上がったら出して欲しいものだ。軽く飲 んで食べて解散。


2004.12.15 23:48(Wed) 思い出し日記 2

 12月5日(日曜日)

 カタビーチの夜明けは遅い、6時に目覚めてもまだ真っ暗、6時10分頃から明るくなる。今日はレースはなく、レジストレーショ ンと午後プラクティスレースのみ。朝のホテルとビーチを撮影、ホテルの壁は3年前と違う色に塗り替えられているので雰囲気はだい ぶちがう。チャーターしたEl-Seaたぶんこれかなと思って写真とったらビンゴ!だった。写真中央手前がそれ。

 カリムさんとモハメッドの二人のマレーシア人がランカウイから回航してきた。舟にわたってひとまず説明をうける。その後、もど ってレジストレーションしてから、午後のプラクティスレースに。レジストレーションはのんびり、H曰く、逗子レガッタの20倍要 領悪いと。それでも参加賞やTシャツ、おまけのポロシャツももらって船にもどる。同行のKちゃん曰く、結構こわれそうな所だらけ 。あまり良い状態の船ではないのが判明、前回の風待ちで日射しにウンザリしたので、日よけを付けてもらったがとりあえず邪魔そう なのではずして出航。なにもかも操作系が重い。ファーラージブをしまうのはウィンチの助けがいる。4人がかり。レース海面に向か うのが追ってだったのでスピンを上げ、2回程ジャイブ。練習の甲斐あり、かなり上手くこなせる。

 プラクティスのスタート、ドキュメントを完全に読んでいなかったので違うクラスのスタートに紛れ込んでしまう。残念、イイ感じ だったのだけど。気を取り直してレース海面動いていると、こちらがスターボーなのに正面からきたポートの船が避けない。あれよあ れよと迷っているうちにお見合いとなり両方切り上がり横っ腹をごつんとやってしまった。あぁ、最低!

 その衝撃でラットについていたオートパイロットが壊れる、スタート時刻なのだがいたしかたない、海面から少し離れ、ラットをカ リムが外しオートパイロットをはずして復帰。すでに同じクラスはスタートしているが練習だ。タックをくり返しながら、上マークに 向かう。風は良く振れ、多い時は20度くらい一気に振れる。上マークを回ってスピンアップ。問題なく展開、するとスピンの縫い目 に補修して有る所から30センチくらい横にほつれている、ダメだ降ろそうと思った瞬間横に真っ二つ、またしてもあぁあっ。

 練習なので、スピンなしで観音にしたりして下マークにむかう、マーク回航登りに入る。今度はジブのファーラーの最後の日よけあ て布部分にほつれがある。まいったねぇ、この船。上マーク回り、下でフィニッシュ。ジブを下げて、カリムがほつれを縫い合わせる 。アンカーポイントに向かうが、明日のレースはスピンなしか、、、今日は王様の誕生日でみんな休みなので修理は出来ない。

 カリム達、私たちが結構タックをくり返したら、Too much tacking.だと。アンカーポイントで手作りサンド、こ れがまた美味しい。今回は弁当頼むの止めて手作りでいこうか。

 上陸、スピンの修理をカリムに任せてボートハウスのバーへ、やっぱり昨日と同じ、あんまりうまくないなここのカクテル。

 シャワーを浴びてからウェルカムパーティーへ。入り口でパーティー券のチェックの他にボディーチェックもある。3年前は無かっ たがご時世なんですね。入り口でろうそくが配られる、パーティーが始まると、王様の誕生日を祝ってのセレモニー、今年77才にな られるとか。タイの王室は日本以上に人気がある。セレモニーも素晴らしい。みんな一緒に王様の誕生を祝う歌を歌っている。

 パーティーでは、日本からエントリーの仲間達にも会い楽しく時間を過ごす。パーティーの食事は3年前にくらべて格段に美味しく なった。カタビーチの街を散策してこの日は終了。

 他の写真は写真館の12月5日のところをみてくださいね。


2004.12.15 23:06(Wed) 思い出し日記 1

 忘れないうちに書いておこう。

 12月4日(土曜日)

 朝6時7分大船発のNEXに乗る、ホームに着いたのは1分前、指定の車両に乗ったのは30秒前、ヒヤヒヤだ。成田まで1時間4 5分くらい、途中横浜駅にO君が送りにきてくれた。シャンパンとおつまみを餞別にくれた。東京駅から乗ってくるはずのHが乗って こない、きっと違う車両にやっと乗ったのだろうと思っていたら、東京駅を出て15分経過した所で電話がなった、「今起きた、出発 の用意を1mmもしていない」って、オイオイ。

 成田はさほど混雑していなかった。蕎麦をを食べている間だにHタクシーで到着、無駄な22,000円と使わなかったNEXの代 金。持ち物チェックはやはり厳しく少し時間がかかる。中に入って、ちょっと買い物してゲートにたどりついたら、もう片づけ始めて いた。この飛行機最後に乗り込んだのはXU-RUNの仲間Mi子。

 それから7時間10分の2度目のプーケット行き。エコノミーの席は私には狭いね。食事の海老のカレーは機内食なのにすでに美味 しい。現地の屋台の食べ物が楽しみだ。タイとの時間差は2時間、日本より2時間遅い。途中で電波時計を2時間ずらそうとしたら、 マニュアルないと出来ないのが判明して止めた。

 午後3時にプーケットの空港に到着、通関はスムーズ、ホテルからの迎えの車2台に分乗してホテルに向かう、以前より道路が混ん でいる、大規模ショッピングセンターがいくつも出来ていた、観光地の島でもアジアは変わりつつある。

 4時半頃ホテルにチェックイン、部屋で着替えて20分後に集合、カタビーチに沖泊りした舟を眺める、3年前と殆ど同じ風景だ。 プールサイドでビール飲みながら、夕陽を眺める。夕焼けカメラマンの私を感動させるほどの夕焼けではなかった。

 海岸を散歩して3年前は超ナイスなフローズンダイキリを飲ませてくれたボートハウスのバーに向かう。しかし、出てきたカクテル にはガッカリ、カクテルグラスは同じだが、中身は別物。ダメだこりゃ。2杯ずつ、みんなでいろいろ飲んで、明日の日曜は比較的ゆ っくりなので、パトンの屋台での夕食に決めトゥクトゥクででかけようとしたが、10人のりのバンの方が安いというのでそれで出か ける。しかし、降りたのは目的地とは離れた場所、さっきから雷もなりどうやらスコールが来そう、急ぎ足であるいていたら、Ma子 が悲鳴をあげていたらしい、やっと到着した頃、雨がザーッとやってきた、テントの有る所をねらって陣取る。いろいろ食べたが、二 度目の感動は一度目とはちがうなぁ。食事が終わった頃、雨もやんだので、2回目組はホテルにもどり、1回目組は街の雑踏を楽しん でから帰還となった。

 私達は、ホテルのプールバーでカクテル。見た目の派手さを選んで椰子の実とパイナップルの実に入ったカクテル頼んだが、甘くて はずれ。


2004.12.14 17:26(Tue) 13日に書き込んだ内容に間違いあり

 もっといくとスリランカから1800マイルほどで、マダガスカル島の北にぶつかるような位置にあ る。これを書くのに世界地図 をひっぱり出して勉強したにわか知識。世界は広いねぇ。

 と書きましたが、これは間違いですね。北緯8度のアフリカの東海岸はソマリアです。マダガスカルは南半球でした。


2004.12.14 10:07(Tue) 忘れないうちにストーマ関係

 今回、いつも使っているコンバテックのエスティームシナジーのセットを持っていった。普段はベースにソフトウェハーを週2回交 換(火曜日、土曜日)、ドレンパウチは毎日交換というパターンでやっているのだけど、今回の遠征ではそのペースでは当然予想され ることだけど無理でした。

 パウチに関してはあまり変わりはなく、基本的には1日1回。横着してフィルターにパッチをはらずに、プールに飛び込んだあとに パウチ交換をしたこともあったので、1日2回変えたときも2日ほどあった。

 やはり問題はベースの使える期間が短くなる。暑い所で姿勢の変化もヨットレースに乗っている間だは普段の比ではない。夜はタイ の現地料理を思いっきり食べるので、下痢っぽいことの方が多い。舟の上では水も思いっきり飲む。たぶん時間あたり1Lを超える程 、それでも排尿にはほとんど行かないほど、体から水分が失われていく。

 ベースは普段は4日はもつのだが、このような環境では2日が限界かな。皮膚保護剤がとけるスピードが普段の倍以上だ。パウチを 変える時、変色していない部分が見えなくなった時はもう交換の必要があると思ったほうがよい。

 パウチ内容の始末に関しては、普通のトイレがある施設ではまったく気をつかう必要なし。KOH-KAI島(コーラルアイランド )に言った時のトイレは、水洗ではあるが瓶の水を流すタイプ、まあ健常者よりは楽でしょう。

 そうじて今回の旅で健常者より楽な思いをしていた。朝の時間もあわただしいヨットレース、朝食後に便意をもよおしトイレにあわ ただしく出かけていく仲間達を尻目に、なんの心配もいらない私。健常者に比較すればベース交換、パウチの張り替えのわずかな時間 が余計にかかった程度。お腹が痛くなることも勿論全くなかったし、トイレを探し回る心配もなかった。

 ストーマセットも荷物の紛失の場合など考え、手荷物とあずける荷物に分けていれ、どちらかが無くなってもなんとかなるようには した。

 ということで、1週間のヨットレース、ストーマ関連はトラブル無し。

 そうそう、面白いことがひとつ。3回、タイ式マッサージを受けた。途中で気分よくなって眠ってしまう。マッサージする時にオイ ルを体に塗るのでいちど、普通からすればちょっと不自然に股上深くショートパンツを履いているわけなので、オイル乗る時にウェス トの部分を下げたマッサージのおばさん、ストーマに対面してビックリ、毎日数人の体をマッサージしているので知っているかと思え ば、始めて見たそうだ。ちょっとおどろいていたが、こちらが詳しく説明してあげようかなと思ったのに、さすがおおらな国民性か、 ウェストをもとの位置にもどして、たんたんとマッサージを続けてくれた。事件といえばこの程度でありました。

 2001年に遠征した時は、朝の排便のタイミングを失い、便秘傾向になって、夜中に腹痛で起きて排便に苦しむなんて事がありました。 今回、ストーマになってからの挑戦の方が肉体的に楽だったのは私の場合は明らかでした。


2004.12.13 11:03(Mon) 北緯8度の島

 北緯8度。赤道から北に480マイルの島、プーケット島に1週間滞在してきた。3年前に滞在した時はとても暑かったのだが、ど うやら今年のような天候がここの例年なのかもしれない。風は北東で基本的には安定している。湿度もあるが、風の通っている所では 気にならない程度。とても気持ちの良い季候でした。

 1週間いる間だにスコールも3回きて、スコールくるとだいぶ涼しくなる。雲はたまに貿易風帯のように、ポッポッとしたものも見 えてくる。

 アンダマン海というインド洋の東の端にあり、西にまっすぐ向かうとインド領のニコバル諸島に240マイルほど、その後500マ イルほどでスリランカに達する、もっといくとスリランカから1800マイルほどで、マダガスカル島の北にぶつかるような位置にあ る。これを書くのに世界地図をひっぱり出して勉強したにわか知識。世界は広いねぇ。

 勤勉ということが似合わない世界。


2004.12.07 02:17(Tue) さてさて

 なかなか、これを書く暇がないんですよね。朝起きてすぐレースでしょ。帰ってきたらプールに入って、部屋に帰って写真をコンピ ュータに読み込んで写真掲示板に3枚くらいポストするともう夜のパーティーの始まる時間になっちゃうでしょ。パーティー途中で抜 けて夜食and夜飲みして帰ってきて、その写真コンピュータに読み込ませて、夕方ポストしたことに反応していると、、、、、

 それに、この情報を送るためにつなぐアクセスポイントは結局服部君のアクセスポイント使わせてもらっているわけで、彼もこのコ ンピュータ半分くらい使うでしょ。だから、書けないのよ。

 3年前の王様カップの挑戦の時は1週間通じて風がなかったのだけど、昨日は練習レースでスピンが裂けるほど吹いているは、今日 のレースはスピン無しにならざるを得なかったのだけれど、びゅんびゅん吹いて、フィニッシュ手前では30ノットを超える風でしょ 。船のウィンチは「カンッ、カン」と壊れそうな音をたてるし。。。。

 それでも3年前には味わえなかった島周りの全コースを走って、フィニッシュまで、4時間10分ずっと舵をもっていてつかれまし たが、とても楽しい時間でした。

 ここからのアクセスは56kのモデムを介してなので、とった写真すべてのアップは帰国してからになります。

 テーザーのグループは不幸なアクシデントにあい、意気消沈しているのでどう声をかけてよいかわかりません。

 今日の我々のレースの結果は、7位に終わってしまったので、明日からがんばります。江ノ島の沖さんが同じクラスで3位に入賞し て、表彰台に呼ばれていました。今日のパーティーは、Hiltonプーケットで3年前は訪れていない場所で新鮮でした。

 しかし、セイルもちぎれそうな風になり、3年前のあの風待ちの恐怖の暑さはありません。夜のパーティーでも風が振れ回っていま した。はたして明日のレースはどんな展開になるのでしょう。


2004.12.03 15:02(Fri) 買おうと思ってもすぐ買えないもの

 さて、いよいよ出発の時が迫ってきた。インターネットで頼んだ水着はどうやら間に合わないようだ。でも、他に変わるものがある からなんとかなる。この水着、米国からの取り寄せなので、さすがに配達予定日より前には届かなかった。

 平和な地域にいる限りはたいていのものはすぐ買える時代、特に毎日使うものはコンビニでも手に入る。毎日使うのにすぐ手に入ら ないもの、ストーマ関係の道具はちょっと気をつかう。勿論、海外でも手に入るだろうけど手に入れる先を見つけるのも一苦労が予想 される。そこで今回は手荷物と、預ける荷物の両側にストーマセットを入れていこうかと思っている。どちらかがなくなってもなんと かなるように。

 旅先でのインターネット環境、どうもしっくりくるものが見つからない。最悪国際電話、日本のプロバイダーもあり得そう。専用ソ フトを使って接続するiPassサービスは現地にもあるのだが、Macに対応していない。もっと前から調査して、適切なものを選 んでおけばよかったかもしれない。


2004.12.02 18:36(Thu) ちょっとあわただしい

 あと1日仕事したら出発しなければならない。3年ぶりの長期の旅行。なにか忘れそうな気もするなぁ。

 3年前と違うのは、ストーマになったことと、ホームページを作ったので、報告する事が増えた事かな。3年前に出かける前からK ing's Cup挑戦プロジェクト参加のメンバーでメイリングリストを作っていたので、3年前はそれあてに毎日つたないメイル を書いていた。(キワムのコラムの一番の下の番外1の所にその時の記録がある)今回はもっと読者が多いので、力込めて準備もして おかないといけない。

 書く時間帯は、レースが終わってパーティーに出かける前と、早朝の食事前くらいしか時間がない。今回おともするコンピュータは iBookだ。前回はパワーブック持っていったのだけど、今回はこのあいだ社内用に手に入れたもののほうがディスクの余裕もある し速いし、バッテリーで駆動できる時間も飛躍的に長い。アクセスポイント調べておかないといけないな。最悪、国際電話で日本のア クセスポイントにということになる。

 なんだか気持ちがワサワサしてきた。


2004.12.01 00:10(Wed) いよいよ12月

 1年前の今日、キワムのコラムを書き始めた時はこんな展開になろうとは思ってもいなかった。『さとなお』のページを読んでいて やってみるかというぐらいの気持ちで始めたのだけど、意外な方向に展開していった。まあ、私が直腸癌になったのもよい方向へ転が りだしたきっかけだった。カメラを買ったのも大正解だし、楽しい50代を突っ走っている感じ。

 昨年もヨット仲間の間ではプーケットへの挑戦は言葉にはなんども出ていたが実現しなかった。今年は、新たなメンバーも加わり実 現の運びとなった。参加するメンバーそれぞれ、この時期に休みをとって出かけるのだからそれは大変な思いをしているでしょうから 、満足できる結果をレースやタイの屋台のあぶなげなおいしい料理で噛み締めてきたい。

 予防注射に来た6年生の女の子から「先生、学会がんばってきてね」と言われた。彼女は私が王様カップに行く事を知っている。あ りがたいファンだ。外来の前には学会でお休みさせていただく旨の張り紙がしてある。


RC(Rectal Cancer) 2004年12月1日

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