キワムのコラム 番外

2001年プーケットリポート

写真は服部さん提供です。服部さんのXU-RUNページ

究です。
現在、現地時間、午前5時34分です。
体が、この時間で起きてしまいます。
ってか、昨日は、気持ちよくよっぱらって、かなり早い時間にバタン・キューでし た。

昨日の夕食は、カタ・ビーチの街でのタイ料理、かなり美味しいものでしたが、 トムヤムクンに入っていた青トオガラシの辛いことといったら天下一品でした。

最初の夕方からインド洋に沈む夕日を見ることが出来ました。
カタビーチの夕方は、西伊豆堂ヶ島にちょっとイメージが似ていて、 湾の真ん中に島が浮かんでいます。堂ヶ島の湾よりは勿論ずっと大きいですが。

ビーチからそれほど離れていない所に、振り回しでアンカリングされている 舟の数は相当なものです。


現地リポート2、
現在、こちらの時間は、3日の23時55分です。
やっと佐藤病院のネットワークとつながりました。

今日のレースは、カタビーチ沖から、ウェザーマーク、スタート地点を通って南に向かい プーケット島の南に浮かぶ小さな島を回るレースでした。
しかし、微風で、コース短縮にもかかわらず、強い汐の流れでリタイアとなってしま いました。
日本からの参加チームは、どうやら全てリタイアでした。

昨日は、舟の受け渡しを受けてから、練習レースでした。
いろいろ手間取りながらもヨットになれる貴重な時間でした。
借りたヨットは、ハンターの376、サイズはゼファーと同じくらいですが、 幅はもう少し広い感じかな、
ジブはオーバーラップ無しの小さなジブ、メインはフルバテンで、スピンはクルージ ングスピンです。
登りはスピードは無い物の角度だけはかせげる舟です。

もともとチャータヨットが目的で艤装された舟で、装備はかなり充実していました。 船底は、もがいっぱいついていましたが、今日、服部君がもぐって綺麗にしてくれた ので 明日のレースは、もう少し速くはしれるでしょう。

明日のレースは、変則コースで途中でぐるぐる回るようになっていて、我々は全17 マイルです。
南の殺人光線は強烈で、日焼け止めローションを1日に何度も何度もぬっても首筋が 痛いほどです。
今日は、島の反対側のホテルでパーティがあったのですが、我々は早めに切り上げ、 カタビーチに もどり、タイ料理を食べました。夜は、すごいスコールが来て涼しくなりました。
そのご、明日のレースの公式ユニホームが襟無しなので、ベトナム風麦わら帽子をみ んなで 買いました。

送れて来る二人早くおいでね。
それから淳子ねえ、私に3万円くらい現金もってきてちょうだい、 私のお財布には今、1000円しかありません。
今日は、浪川隊長から5000円かりて、バーツに両替しました。

みな元気で、だれもお腹を壊していません。
舟を上では一人、1リットルくらい水を飲んでいますが、 トイレに殆どいかないで、みな汗に変わっています。

北緯7度の島なのですが、パラオとは違い風景はなんとなくアジア風です。
今日の島周りも勝手にみんなで、あれが利島だろう、あれが、新島であれが式根島 などと名前をつけてかってなことを行っています。

それでは、また連絡します。
服部のコンピュータがまだネットに繋がらないので、 つながったら写真も送れることでしょう。

私も海外のアクセスポイントからはだめで、国際電話で日本のアクセスポイントを 使っています。

12月4日、午後4時4分、現地時間

本日は、変則コースの17マイルのマーク回航が設定され、スタート時間は朝の 8時40分が我々のクルージングクラス3のスタート予定時刻でした。

風はきわめて微風、レース海面には、朝7時15分に行動を開始して、8時前に レース海面に向かいました。
昨日買った、ベトナム帽は、とても涼しくて、使い心地もまあまあでしたが、 レース海面で漂っている時、周りの舟が大評判でした。
風待ちの状態で1時間ほど経過した所で、レースコミッティーが無線でレース延期 の連絡が入り、レース海面にいるなり、海岸に帰るなり好きにしなさい。
レースをやる時は、海岸のAP旗を1時間以上前に硬化するからとのお達しでしたが、 結局、午後2時、今日のレースは中止となりました。

今朝、笑われの舟、(HOMYA)に行くと、GPSのアンテナがおられているのを発見 続いて、ポートサイドのスタンションが一本折られているのを発見、係留中に ぶつけられたようでした。
レース延期がきまって、アンカーポイントにもどり、今回の舟の面倒を現地で 見てくれている。KALINさんが、適当に直してくれましたが、結局は、 今回のレガッタ終了後に他のハーバーで溶接して直すことになったようです。

昼のサンドイッチを係留したまま食べるのは暑いということで、海面にでて、 今までいっていない、北側の湾までメインあげて、小さな日陰をつくり 帆走しながら、食べました。

今日のパーティは、その北側の湾のどこかのホテルであるようです。
昨日、パーティーのあと早めに切り上げて、食べにいった地元の レストランは、どうも、ヨーロッパ人を意識した、味付けで、パンチに とぼしく、今日はもっとパンチのあるレストランへと浪川隊長が はりきっています。

究です。
今、12月6日、木曜日の朝を迎えました。

12月5日、タイの王様の誕生日、のレポートです。
4日は微風でノーレースでしたので、5日は2レースの予定となりました。

XU-RUNメンバーは、6時半集合、食餌を終え(毎日同じようなものを食べてます) 7時行動開始、レガッタの公式弁当屋からサンドウィッチと氷を受けてとり、 ゴムボートとドラゴンボートに分譲して、我々の舟、HOMYAに向かう。
今日は新たな、舟のトラブルは発生していない。この時点で、5日のレースも スタート時間の延期が決定されていえ、レース本部ですでにAP旗があがって いる。4日より、もっと風が弱いかなってほどでした。
5日2レース予定のため、レーシングクラスとレース海面が別になりました。

そうこうする内に、我々の本部船が動き出したので、我々も追従しました。
レース海面に舟は集合しましたが、いっこうにレースをいつやるかの アナウンスもなしと言う状態で、暑い暑いレース海面に漂っていました。 そう、ここは、インド洋に直接繋がって、モルジブまで、620マイル の場所なのですが、ここにきてからの海面は、まるで広島湾のようだと 服部が言うくらい、波がありません。
浪川隊長、エロ住さん、大坪、三角水着の堀さんが、海に飛び込み 気持ちよさそうに泳いでいました。

11時頃になってやっとレース本部でAP旗が降ろされたようで、海面も 少し動きが出てきました。

夕食を美味しく食べるためとか言い訳しつつ、我々は11時にランチ ボックスを開きました、食べたことのない、フルーツに文句を言いながら。

この日の第1レースは、上下2レグの予定で、マークの間は1.5マイルほど でしょうか、我々のクルージングクラス3とクルージングクラス2の同時 スタートで、30艇くらいが同時スタートです。
リミットマーク付近は、大混乱なので、まんなかあたりからフレッシュ をつかむべくスタート、私は、学生時代にもどったように、風見に集中 して走航、30度ちかう風の振れる海面で、コース短縮、上下のみで 終了、感覚的には、まあまあかなという結果、 ここで、レガッタの最初のフィニッシュを祝って、ビールで乾杯。

続けて、第2レース、ショートコースで行うとアナウンスが無線であり 上下の間も1マイルを切る程度に設定されました。
スタートラインも短くなり、スタートは結構、ど迫力! なんとかルームを作って、まあまあの位置でスタートできました。
第1レースよりは風も上がってきて、第1上では、うまく数艇を スターボー、ポートで蹴散らし、スピンランへ。
大坪バウマンの努力で、非対称スピンのセットもかなりうまくいき 下への航行でも周囲の同クラスの舟との差を広げられるように なりました。第1下回航後、タックしたあとで、後続ポート艇と ミート、日本からの舟で、クラスも違うのと、B旗に使う堀さんの パンツが赤ではなかったので、こちらもよけたのですが、 うやむやになりました。
第2上から下へは、スピンセットトラブルがありましたが、 抜かれることなくフィニッシュ。
うん、まあまあ、って感じでした。

インド洋に沈む夕日をバックに帰港となりました。

仕事が抜けられず、途中さんとなった、アラタ、淳子ねえが 夕方7時すぎに到着、落ち着いた所で、 本日のパーティ会場にむかいました。会場は、砂浜をネットで 区切った会場で、人でごった返していました。
すぐ、会場外のレストランに移動しようと話しになった時、 コミッティーがステージに登場したので、話しを聞いてから ということになりました。
そのうち、今日のレースの表彰がマルチハルクラスから はじまり、続いて、我々のクラスの発表、なんと最初に 我々のHOMYAの名前が呼ばれ、5位のすてきなプレート を浪川隊長が壇上に上がり受賞できました。

その後、各クラスが表彰されましたが、日本チームで 壇上にあがったのは、我々だけでした。

続いて、夕食は、しっかり辛い、タイ料理をたべに行き、 アラタはひいひい、矢住さんは、青トウガラシで、切れて しまいました。

本日は、レイデイなのですが、我々、新メンバーも 加わったので、練習しようって話しになってます。

12月6日、レイデイ。
午前中、少しゆっくりして、出航。カタビーチをでて南にむかい岬を二つ越えた、 プーケットヨットクラブに向かいました。
南に向かう時は、セールの南に太陽が回るので、日陰で少し救われます。
プーケットヨットクラブといっても、桟橋があるわけではない、湾の奥に あるホテルです。白い砂浜から200メートルほど離れた所でアンカリング。
この日は、ランチを持ってきておらず、ビールも前の日の残りのみ、 服部が、浜まで泳いで、はまから、ランチ、ビールを取り寄せようと しましたが、この浜では、ドラゴンボートが無いため、残念ながら 目的のものをゲットできず。
アンカーポイントで、少し泳いだあと、出航。
地元のラムが一本あったので、それを飲みながら、太陽を背中に受け カタビーチに向かい、あっというまにラムを一本あけてしまって、到着。

アンカーリングしたあと、ボートハウスで、美味しい、フローズンダイキリ とランチをとりました。

今回のツアー最高額のランチとなりました。
はやめに解散して、シエスタとなりました。

今日は、レガッタ主催のパーティがないので、19時にホテル前に集合 トゥクトゥクにのって、パトンの街に繰り出します。

この街は、新宿歌舞伎町をもっともっと強烈にしたエネルギーあふれる街で、 おかまや、お持ち帰りのお姉さんもそこらじゅうにいる所です。

その街の中心街から狭い横道を入った所に屋台がならんでいて、50メートル ほどさきの突き当たりある、屋台で本日のディナーとなりました。 家族経営の優しい屋台での食事です。
となりのテーブルでは、ヘミングウェイを彷彿とさせる。白いあごひげの60才 前後の白人が食事をしていて、浪川隊長はそのすがたをえらく気に入っておられ ました。

トムヤムクンは、毎日食しているけど、この日のスープは最高でした。
しかし、申し訳ないほど沢山頼んで、食べ切れませんでした。
詳しくはわかりませんが、服部財務省は3000バーツほど支払ったと 思われます。

12月7日、金曜日
朝食事を終えて出発しようとすると、陸上で、ホイッスルとともにAP旗が あがり、さっそくスタート延期です。
今日は、カタビーチから南に下り、プーケット島の南にある島をまわる 全行程37マイルのレースです。
このレガッタは、タイムリミットがどのレースも6時間に指定されている ので、今日のレース、全行程を走りきるのは無理があります。
午前9時頃には、陸上のAP旗も降下され、我々も出発、ちっとAP旗の 降下を見逃し(だって、ライジャケについているような笛での合図なんだもの) たために、スタート地点への到着は少し遅れ気味でした。
レーシン、プレミア・クルージンググクラスのスタートに引き続き、 我々のクルージング2,3がスタートとなりました。
スピンスタート、中間点からまずまずの風をつかんでスターボードタックで スタート。沖の第2マークを回る、回らないで、無線上で混乱がありましたが 我々は、地図では回るように掻いてあるが、通過マークの指示では掻いてないので、 通らないことにして、ジャイブ。まずまずの位置で、第1ゲートを通過、 一緒に、諸磯グループの44フィートの舟と通過、次の第2ゲートまでは 真追っての風、ジャイブを繰り返しながら南下。ゲートの前で島に近付いた ころから、汐の影響がだいぶあるようで、止まっている舟とすごい勢いで 進んで行く舟がある。
岸につっこんで、ジャイブ、第2ゲートを通過。ここからは島の南側を アン・クロックで回るコース、南も岬をめざす。岬の先端では 汐がうずを巻いている、岬から少し話して、通過、島を回ると岸に つっこんでいる舟は、とまっている、すこし沖めをとおるが、イマイチ はしらず、周りの大型艇においていかれる。
コミッティーからここで、コース短縮の無線連絡、我々のクラスは次の 第3ゲートがゴールとなった。
最後の一踏ん張り、15時丁度にゴールとなった。
大坪君にラットを川ってもらい、ビールで乾杯、この日もインド洋の夕日を 身ながら、ラムを一本あけました。

パーティは2日と同じ、ホテル、料理も対してかわらず、でしたが、 またしても、クラス5位で、縦をもらいました。

12月8日土曜日、
今日は最終レースの日、コースへ台形の上下、 今朝も微風のため、陸上で、AP旗があがり、7時出航の予定が遅れました。
マークも設置され、これからかというところで、風も落ち、結局海面で12時半まで 待ちレースがキャンセルされました。
我々の成績は、リタイア、5位、5位、5位でした、レガッタの規定で、4レース以上 レースが正立した場合は1レースを捨てて計算できることになっていましたが、 総合でも5位という上位チームが安定したレースをしていたため、総合で上へ あがることができませんでした。

表彰式は、タイの王族からトロフィーと、メダルを授与されるもので、 お辞儀の仕方が開会前にデモンストレーションされ、わが隊長も緊張気味で ありましたが、王様もカップは、各クラスの3位以内しか、わたされませんでした。

XU-RUNチーム、正装してでかけた閉会式は、ちょっと期待はずれに終わってしまいま した。

今回、非常に良いチームワークで、レース、アフターレースとも消化されました。 さすがに、この日あたりから、みなさんの胃袋は疲れてきた様子が見えましたが、 口だけは減らないし、舟の上のラム、ロックや、ボートハウスの美味しい、 フローズン・ダイキリを飲みながらの会話は絶品でありました。

ビデオ撮影も行われましたので、それをまた、編集してみようかと思っています。

12月9日は、朝6時に集合、6時15分、ホテルを出発、8時45分の飛行機で バンコックへ、そこで11時の飛行機で成田に向かっています。
日本時間にあわせるため、みな時計を2時間進め、 行きの飛行機中でのバカ騒ぎをなく、みなさん眠っています。
成田につくまであと1時間ほどでしょうか、タイ航空のスッチーがランの花を 配ってくれました。

2001年12月

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