キワムのコラム72回

泣いて育つということ

さてさて、鎌倉アーバンクリニックを始めてしばらく時間が経過した。鎌倉アーバンクリニックをオープンするにあたっていろいろ新しい試みもした。ホームページを作る上で院長のポリシーみたいなものがどの施設に載っている。しかし、どうもそれは当たり障りのない文章が多い。そんな中でロゴもやはりプロに作ってもらうと良かったのえ、院長の人となりを現す文章も文章のプロに書いてもらおうと思っている。過去に3回インタビューを受け結構厳しい質問もされたのだけど、プロなのに報酬を美味しいご飯なんて条件にしたためか、彼女が抱えている仕事がとても忙しいのも現実だが、インタビューで私のはっきりした人間性が分からないというのが最もな所なのだろうけど、まだ完成にいたっていない。

それで今日はそのインタビューの中でくり返し出てきた話のひとつをちょっと書いてみようかと思った。

最近の結婚年齢の上昇で35才以上でのカップルの初産というのは当たり前に近くなってきた。私が見ていて若いカップルとの違いを一番感じるのは自分の生活が確率したためかこどもに注がれる愛情が溺愛と言ってもよいぐらいになっていることなのだ。若いカップルはまだまだ自分の事に忙しいし余裕が無いからどうしても手が回らない事も多い。でも子育てに関してはそれくらいの方が良いのではないかと感じる。

こどもが可愛いのは確かでその子が泣いているのは親の心には不憫に響くものではあるけど、兎に角泣かせないようにすることにものすごく神経を使っている親が目立つ。まるで祖父母が育てているのに近いような状態。こうして育てられたこども達が大きくなっていくのを見ていると辛いものがある、優しそうではあるがストレスに弱いこども達が沢山いる。

私たちの親の世代はどんなにこどものわがままをきいてやりたくても生活や社会がそれを許さなかった。おもちゃが欲しいと道路の真ん中に寝ころんで泣き叫んだとしてもそのおもちゃを買ってあげられるお金もなかったという社会の中でそだってきた。しかし今は違う、物は溢れ我慢する必要もほとんどない毎日を一人っ子が赤ん坊の時からずっと続けて育っていく。幼稚園や学校に入ってこどもにとっての社会生活が始まった時に対応する素地が出来ていないこどもが目立つ。

物がいくら溢れていてもこども同士の社会は厳しい、親の育て方にかかわらず兄弟がいればそれだけでどうしたって厳しい世界がやってくる、一人っ子だとしても母親がキャリアに復帰して保育園に小さな時から行くこどもは救われる。こども同士の社会はお互いのストレスをどう過ごさなければいけないかを教えてくれる。親がこどもに我慢させることを教えるのは難しいがこども同士なら教えてくれる。

愛するわが子が泣いているのはその子が素晴らしい人間にそだっていく過程なんだと思えればよいのにね。泣かないで育った子は小さい時に泣いた苦労の何倍も大きくなってから受け止めなければならないのだから。それをもし受け止められないときおとなしそうでもとても危ない子になっていく。

2006年05月19日

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