キワムのコラム 第67回

癌繋がり?だけじゃねぇ

 私の人工肛門仲間?の ブログに沖縄の写真家、石川真生さんの ページのアドレスが紹介されていた。人工肛門で検索していてみつけたそうだ。

 上のリンクの下のほうに、「まおの孤軍奮闘記」という記事があり、沖縄タイムスに連載されたものだそうです。最初の記事を見て 私はちょっとショックをうけた。ざんばら髪の目のぎょろっとしたおばさんが私のお腹と同じような出っ張った腹のストーマを鏡を見 ながら写真に収めている。最初の印象は”グロ!”だなと思った。(私も 手術中の写真だしてるくせに)。

 でも真生さんはプロのカメラマンだ。それもずっと沖縄のヒトをとり続けてきたプロ。写真のうったえる力ってこれなんだね。連載 を読み進むうちに真生さんの厳しさ、優しさも見えてきた。12回の連載の最後のパウチを付けた写真を見る時には可愛いというか素 敵に見えてきた。

 そんな私を振り返ってみると、最近の私は「癌」がベースにあるヒトを興味の対象にしている、これってちょっと変だなとも感じて きた。「癌」になって生きていくヒト、やはり皆、死を意識したことから生を受け直したよなパワーがあるんだけど、自分の中でなに か「癌」に甘えているんじゃないかな?という疑問も出てきた。「癌」になってから「生」に対する意識は強いものになってはいるが 、自分が「癌」だったことなど思い返さない毎日のほうがはるかに多い。何回も繰り替えして言っているがストーマの生活も私にはほ とんどストレスではない。

 そろそろ「癌」繋がりで意識するような幅を狭めたような考え方から脱却しないといけないと感じる。自分では意識していないつも りでも、「癌」がベースにあるヒトに対して興味をもっているのはどこか甘えがあるのだろう。勿論、私自身、甘ちゃんで好きなこと 、好きな仲間が大切で、面倒な事からは一歩離れている生き方をする自分勝手なやつです。自分勝手を通してこれからも生きていくな ら、もっともっと元々の自分を生かしていかないといけないと感じますね。


真生さんのストーマ写真に対抗?して(全然意味合い違うだろうけど)ストーマから大腸鏡検査を受けている時の写真
真生さんの写真もそうだけど、人工肛門がどんなものだか知らないヒトも多いので

2005年1月28日

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