酒飲みながらいろいろ思い出話をしていたら、どうやら私はおふくろの作品らしい!?
酒飲み話で小学校の頃の習い事の話しになった。4年生くらいまでにいろいろ行ったなぁ。お絵かき教室、 そろばん塾、ピアノなど。今まであまり意識していなかったのだけど、その時、そう言えば、お絵かき教室は 私の図工の成績が悪かったとき、おふくろが学校の先生からデッサンの力がないからこの点数だと言われて お絵かき教室に通わされた。算数で暗算の力が弱いと言われれば、珠算塾へ、音楽で和音が分からないと 言われればピアノの先生の所へといった具合だった。とにかく学校の成績が最上級でなければ、すべて その不足した力を補わさせられた。
私自身にしてみれば、通わせられた理由などどうでもよく、出来れば遊んでいたいと思っていたが、
なにかその中で面白いものがあれば、まあなんとか続けていた。お絵かき教室では、そのころ学校の
教材で渡された12色の絵の具とは違う本当に綺麗な色が集められた絵の具を使うことになり、その中の
群青色の絵の具の色がとても綺麗だったのを覚えている。 こんなふうにおふくろにお膳立てされながら生きていて、中学受験の頃には体育だけ4で後は全て5の成績を もらって受験に挑んだ。その後、中高一貫の学校に進み、中1の2学期の東京オリンピックを契機に成績は下がり 高校を卒業する時は体育だけ5であとは知るべしの成績で2年間の浪人生活を送った。 しかし、下手ながらも今でも絵に興味はあるし、私のつくるコンピュータソフトの色遣いは、お絵かき教室の 綺麗な絵の具の影響が残るのか、綺麗なソフトとしての評判はいただいている。珠算塾は結局は暗算が嫌いで コンピュータで決まり切った事は結果を出そうとプログラムの世界にはまったのかもしれない。さぼっている 時の駅前ロータリーの自転車でのコーナリングの気持ちよさが、その後、バイクに乗って箱根ターンパイクを ぶっとんだり、車にのってサーキットを走って楽しい時間をすごしたことに繋がるかもしれない。音楽はピアノは バイエル程度なので勿論ひけないが、高校ではフォークソングバンドで楽しい時間を過ごした。おふくろが私が 10才頃までにやらせたことが、中学高校でおふくろの思い通りにはならなかったとしても、今の私を作ったのかと 考えると、なにか感慨深いものがる。おふくろは自分自身の作品として私をみると、良いできだとは思わない だろうけど、こんな事を考えたという話しを機会があったらおふくろにしてみようかと思った次第だ。
2004年11月3日逗子沖 |
2004年11月4日